執筆:弁護士・社会保険労務士 中野秀俊(一般社団法人SES事業適正化協会 代表理事)
「〇〇さんを外してください。もう来なくていいです」――客先からのこの一本の連絡は、SES会社にとって、売上と信用を同時に失う瞬間です。遅刻が多い、報告がない、会議中に居眠りをしている、指示を守らない、客先の社員と衝突した。理由はさまざまですが、経営者の頭に浮かぶのは「この社員をどうすればよいのか」という問いです。
ところが、SES会社はこの場面で、一般の企業にはない難しさを抱えています。問題が起きているのは客先で、会社は現場を直接見ていません。しかも、客先がエンジニアを直接注意したり評価したりすれば、偽装請負の問題にもなります。感情的に「クビにしたい」と考えても、手順を誤れば、処分は無効になり、逆に会社が責任を問われかねません。
本記事では、SES事業者の契約と労務を支援してきた弁護士・社労士の立場から、客先からクレームを受けたエンジニアへの対応を、事実確認、注意指導、懲戒、配置転換、退職勧奨、そして客先との契約上の対応まで、順を追って解説します。
| この記事の結論 ・客先からのクレームは、そのまま事実とは限りません。自社の責任者が客先と本人の双方から事実を確かめ、記録に残すことが出発点です。 ・エンジニアへの注意・指導・評価は、雇用主であるSES会社が行います。客先が直接注意・評価する運用は、偽装請負の判断要素になります。 ・いきなり懲戒や解雇はできません。注意指導→記録→改善の機会→懲戒という段階を踏むことが、処分を有効にするための条件です。減給には法律上の上限があります。 ・勤怠の乱れの背景に体調不良が疑われる場合は、処分の前に受診を勧め、休職を検討します。最高裁は、こうした配慮を欠いた処分を無効としています。 ・能力不足を理由とする解雇のハードルは高く、退職勧奨も言い方を誤れば違法になります。客先との契約上の対応(交代・精算)は、労務の対応とは切り分けて進めます。 |
1.まず押さえておきたい3つの前提
| 前提 | 内容 | やってしまいがちな誤り |
| ①雇用主は自社 | エンジニアの指導・評価・処分の権限と責任は、雇用しているSES会社にある | 客先の判断をそのまま受け入れ、本人の言い分を聞かずに処分する |
| ②客先は直接指導・評価できない | 37号告示は、業務の遂行に関する評価や指示を受託者が自ら行うことを求めている。客先が直接注意・評価すると偽装請負の判断要素になる | 「客先から直接、本人に注意してもらってください」と依頼する |
| ③クレームは「一方の言い分」 | 客先の担当者の主観や、行き違い、場合によっては客先側のハラスメントが原因のこともある | 「客先がそう言うなら間違いない」と決めつける |
特に②は、SES会社が見落としやすい点です。問題の多いエンジニアほど、客先が直接注意したくなるものですが、その運用を続けると、指揮命令を客先が行っている証拠になってしまいます。客先には「気になる点は、当社の責任者にお伝えください」とお願いし、注意や指導は自社が行う形を徹底してください。
2.初動:事実確認の進め方
- 客先から具体的に聞き取る:自社の責任者が窓口となり、「いつ、どこで、何があったか」を具体的に聞きます。「態度が悪い」ではなく、「〇月〇日の定例会議で、質問に答えず退席した」というレベルまで確認します。メールやチャットの記録があれば提供を依頼します。
- 本人から弁明を聞く:客先の指摘を伝え、本人の言い分を聞きます。指示があいまいだった、客先の担当者から不適切な言動を受けていた、体調が悪かったなど、本人にしか分からない事情があることも少なくありません。
- 勤怠記録・成果物と照らし合わせる:遅刻や欠勤の指摘であれば、自社の勤怠記録と照合します。成果物の品質の指摘であれば、具体的な不具合の内容を確認します。
- 記録を残す:聞き取りの日時、相手、内容を書面に残します。後で懲戒や退職勧奨を検討するとき、この記録が会社を守る唯一の証拠になります。
| 注意:そのクレームは「カスハラ」ではありませんか ・客先の担当者が、業務の範囲を超えた要求をしている、人格を否定する発言をしている、といった事情があれば、問題はエンジニアではなく客先の側にあります。 ・2026年10月から、事業主にはカスタマーハラスメントへの対策が義務づけられました。取引先からの著しい迷惑行為も対象になり得ます。エンジニアを守るべき場面で処分してしまえば、会社の措置義務違反を問われかねません(関連記事「SES客先常駐のカスハラ対策」)。 |
3.問題の類型別の対応
| 類型 | 典型例 | 基本的な対応 |
| 勤怠不良 | 遅刻・欠勤の繰り返し、無断欠勤、中抜け | 勤怠記録で事実を確認し、注意指導書で改善を求める。繰り返す場合は、けん責・減給などの懲戒を検討 |
| 能力不足 | 作業が遅い、品質が低い、指示を理解できない | 求める水準と現状の差を具体的に示し、研修・指導・業務の見直しで改善の機会を与える。いきなり処分しない |
| 勤務態度・協調性 | 報告をしない、会議中の居眠り、客先社員との衝突 | 具体的な事実を示して注意する。客先との関係の問題であれば、配置の見直しも検討 |
| ハラスメントの加害 | 客先社員への暴言、セクハラ | 客先と連携して事実を調査し、就業規則にもとづいて懲戒を検討。被害者への配慮と再発防止を客先と協議 |
| 情報管理の違反 | 持ち出し禁止のデータのコピー、私物端末の使用 | 速やかに事実を確認し、被害の拡大を防ぐ。重大な場合は懲戒解雇もあり得る(関連記事「常駐エンジニアの情報漏えい」) |
| 体調不良が疑われる | 急な遅刻・欠勤の増加、集中力の低下、表情の変化 | 処分より先に、面談と受診の勧奨。必要に応じて休職を検討(第6章) |
4.注意指導と記録の残し方
どの類型でも、最初の一歩は「注意指導」です。口頭の注意だけでは、後で「注意された覚えはない」と言われると反論できません。問題が続く場合は、書面(注意指導書)で、具体的な事実と改善してほしい内容を伝えるようにします。
| 注意指導書に書く項目 | ポイント |
| 問題となった事実 | 日時・場所・内容を具体的に。評価や感想(「やる気がない」など)ではなく、事実を書く |
| 会社として求める行動 | 「始業時刻の5分前までに業務を開始する」「日報を毎日18時までに提出する」など、具体的で確認できる内容 |
| 改善の期限と確認の方法 | 「1か月後に面談で確認する」など |
| 改善されない場合の扱い | 「改善が見られない場合は、就業規則にもとづき処分を検討する」と記載する |
| 本人の受領の確認 | 受領の署名をもらう。拒否された場合は、その旨と日時を記録する |
能力不足が問題の場合は、指導の内容と期間、目標を定めた改善計画を本人と一緒に作ると、改善の機会を与えたことが明確になります。指導の記録は、毎回の面談の日時と内容を簡単にでも残しておきましょう。
5.懲戒処分の種類と限界
注意指導を重ねても改善しない場合に、はじめて懲戒処分が選択肢になります。懲戒処分は、就業規則に処分の種類と理由が定められ、周知されていることが前提です。
| 処分 | 内容 | 注意点 |
| 戒告・けん責 | 口頭・書面で戒め、始末書の提出を求める | 最も軽い処分。記録として残る意味がある |
| 減給 | 賃金の一部を差し引く | 1回の額は平均賃金の1日分の半額まで、総額は1回の賃金支払期の賃金総額の10分の1まで(労働基準法91条) |
| 出勤停止 | 一定期間の就労を禁止し、その間は無給 | 期間が長すぎると無効になりやすい |
| 降格 | 役職・等級を下げる | 賃金の大幅な減少を伴う場合は慎重に |
| 諭旨解雇・懲戒解雇 | 退職を勧告する、または即時に解雇する | 重大な規律違反に限られる。手続の不備で無効になりやすい |
処分を有効にするための条件
- 就業規則の根拠:処分の種類と理由が就業規則に定められ、社員に周知されていること
- 相当性:行為の内容に比べて重すぎないこと。過去の同様の事例とのバランスも考慮される
- 手続:本人に弁明の機会を与えること。就業規則に懲戒委員会などの手続があれば、それに従うこと
- 二重処分の禁止:同じ行為について、二度処分しないこと
- 事実の証明:処分の理由となる事実を、会社が証明できること(第2章・第4章の記録が生きる)
6.体調不良が疑われるときは「処分の前に受診」
遅刻・欠勤の急な増加や、集中力の低下の背景に、メンタルヘルスの不調が隠れていることは珍しくありません。客先常駐のエンジニアは、長時間労働や客先での人間関係のストレスを抱えやすい環境にあります。
最高裁は、IT企業の社員が、精神的な不調から「被害を受けている」と訴えて長期間欠勤したケースで、会社が精神科医による健康診断を行うなどして、その結果に応じて治療を勧め、休職を検討するといった対応をせずに、無断欠勤として諭旨退職の懲戒処分をしたことを、無効と判断しました(日本ヒューレット・パッカード事件、最判2012年4月27日)。
体調不良が疑われる場合は、処分を急がず、面談で状況を聞き、医療機関の受診を勧めてください。そのうえで、就業規則の休職制度の利用を検討します。休職期間が満了しても復職できない場合の扱いは、就業規則の定めに従います。
7.配置転換・待機・研修
客先から交代を求められた場合、エンジニアを別の案件に配置するか、案件が決まるまで待機させることになります。
| 対応 | 注意点 |
| 別の客先への配置 | 就業規則や労働条件通知書で、就業場所・業務の変更があり得ることを定めていれば、原則として命じられる。嫌がらせ目的の配置は無効 |
| 待機(自宅待機) | 会社の都合による休業として、少なくとも平均賃金の60%の休業手当が必要。ただし、本人の重大な規律違反を理由に就労を禁じる場合は、懲戒(出勤停止)としての手続が必要 |
| 社内での研修・業務 | 通常の勤務として、通常の賃金を支払う。改善の機会を与える場として活用できる |
| 降格・給与の引下げ | 評価制度や就業規則に根拠がなければ、一方的な引下げはできない |
待機中の社内研修は、「改善の機会を与えた」という記録にもなります。待機を「罰」として使うのではなく、次の案件で問題を繰り返さないための準備期間と位置づけることが、法的にも経営的にも合理的です(関連記事「SES待機期間の給料と休業手当」)。
8.能力不足を理由とする解雇と退職勧奨
能力不足の解雇のハードルは高い
「客先で通用しない」ことを理由に解雇したいと考える経営者は少なくありません。しかし、解雇は、客観的に合理的な理由があり、社会通念上相当でなければ無効です(労働契約法16条)。能力不足については、人事考課が下位10%の社員を「労働能率が劣り、向上の見込みがない」として解雇した事案で、平均的な水準に達していないというだけでは足りず、著しく能率が劣り、向上の見込みがない場合でなければならないとされ、教育・指導による改善の余地があったことも考慮されています(セガ・エンタープライゼス事件、東京地決1999年10月15日)。
特に、未経験者を採用して育成しながら案件に入れているSES会社では、「経験が足りないことを承知で採用した」という事情があるため、能力不足だけで解雇が認められる場面はさらに限られます。注意指導、研修、配置の工夫を尽くした記録があってはじめて、検討の土台に乗ると考えてください。
退職勧奨の進め方
解雇が難しい場合、本人と話し合って合意による退職を目指す「退職勧奨」が現実的な選択肢になります。退職勧奨そのものは違法ではありませんが、本人の自由な意思を妨げる態様で行えば、違法な退職強要として損害賠償の対象になります。
| 適切な進め方 | 違法とされやすい言動 |
| 面談は1回30分〜1時間程度、出席者は2名程度まで | 長時間・多人数で取り囲む、何度も呼び出す |
| 会社の評価と、退職を勧める理由を冷静に説明する | 「辞めないなら解雇する」「どこも雇わない」などの脅し |
| 退職の条件(退職日、解決金、有給の消化、離職理由)を提示する | 人格を否定する発言、大声での叱責 |
| 検討の時間を与え、その場で決めさせない | 本人が明確に拒否しているのに、勧奨を続ける |
| 面談の内容を記録する | 「客先がもう要らないと言っている」と客先の言葉だけを理由にする |
9.客先との契約上の対応
エンジニアへの労務の対応と並行して、客先との契約上の対応も必要です。この2つは切り分けて考えます。
| 論点 | 確認すること |
| 交代の要求 | 基本契約書に交代要求の条項があるか。要件(業務の遂行に支障がある場合など)と、交代までの期間 |
| 精算 | 交代までの期間の稼働の精算方法。後任が決まるまでの空白期間の扱い |
| 契約の中途解約 | 準委任は原則としていつでも解除できるが、相手に不利な時期の解除は損害賠償の対象になり得る。解約予告期間の定めを確認 |
| 損害賠償の請求 | 客先から損害を請求された場合は、責任の範囲と上限条項を確認する(関連記事「SES基本契約書で必ず確認すべき10条項」) |
| 後任の手配 | 後任を出す場合も、配置を決めるのは自社。客先に候補者を選ばせる形にしない |
対応のチェックリスト
☐ 客先からのクレームの内容を、日時・場所・具体的な事実まで聞き取り、記録した
☐ 本人から弁明を聞き、記録した
☐ 客先に、直接本人を注意・評価しないよう依頼した
☐ クレームが客先側のハラスメントによるものでないかを確認した
☐ 体調不良の可能性を確認し、必要に応じて受診を勧めた
☐ 注意指導書で、具体的な事実と改善してほしい行動を伝えた
☐ 懲戒を検討する前に、就業規則の根拠と弁明の機会を確認した
☐ 待機中の賃金(休業手当)と、研修などの改善の機会を検討した
☐ 基本契約書の交代要求・精算・中途解約の条項を確認した
10.よくある質問
Q. 客先から「エンジニアを交代してほしい」と言われたら、従わなければなりませんか?
A. 基本契約書の交代要求の条項によります。条項があれば、要件を満たす限り交代に応じることになります。ただし、交代させることと、そのエンジニアを処分することは別の問題です。処分は、自社で事実を確認したうえで判断します。
Q. 客先から直接、エンジニアに注意してもらってもよいですか?
A. 避けるべきです。37号告示は、業務の遂行に関する評価や指示を受託者が自ら行うことを求めています。客先が直接注意・評価すると、偽装請負の判断要素になります。気になる点は、自社の責任者に伝えてもらうよう客先に依頼してください。
Q. 客先からクレームが来たことを理由に、すぐに減給できますか?
A. できません。減給は懲戒処分の一つで、就業規則の根拠、事実の確認、弁明の機会が必要です。さらに、1回の額は平均賃金の1日分の半額まで、総額は1回の賃金支払期の賃金総額の10分の1までという上限があります(労働基準法91条)。
Q. 能力不足のエンジニアを解雇できますか?
A. 能力不足だけを理由とする解雇は、認められにくいのが実情です。教育・指導・配置の工夫などで改善の機会を与えたうえで、それでも改善の見込みがない場合に、はじめて検討の対象になります。
Q. 交代になったエンジニアを、次の案件が決まるまで自宅待機にしてもよいですか?
A. 会社の都合による待機であれば、少なくとも平均賃金の60%の休業手当が必要です(労働基準法26条)。社内で研修や業務を命じる場合は、通常の賃金を支払います。
Q. 遅刻や欠勤が急に増えたエンジニアを懲戒してもよいですか?
A. 背景に体調不良が疑われる場合は、処分の前に面談と受診の勧奨を行い、休職を検討してください。最高裁は、精神的な不調が疑われる社員に対し、受診の勧奨や休職の検討をせずに行った懲戒処分を無効としています(日本ヒューレット・パッカード事件)。
| 中野弁護士の視点(元IT企業経営者として) 客先から「もう来なくていい」と言われたとき、経営者が真っ先に感じるのは、客先への申し訳なさと、社員への怒りです。その気持ちのまま本人を呼び出し、強い言葉で責めてしまう――IT企業の経営者として、その衝動はよく分かります。 しかし、ここで感情的に動いた会社ほど、後で「不当な処分だ」「退職を強要された」と争われ、時間とお金を失います。逆に、事実を確かめ、記録を残し、改善の機会を与えた会社は、仮に退職という結果になっても争いにならず、残っている社員からの信頼も失いません。問題が起きたときこそ、会社の「仕組み」が試されます。注意指導書の書式、面談の記録、就業規則の懲戒規定。こうした地味な準備が、いざというときに会社を守る盾になると考えています。 |
まとめ
- 客先からのクレームは一方の言い分です。自社の責任者が客先と本人の双方から事実を確かめ、記録に残すことが出発点です。
- エンジニアへの注意・指導・評価は雇用主であるSES会社が行います。客先が直接行うと、偽装請負の判断要素になります。
- 注意指導→記録→改善の機会→懲戒という段階を踏みます。懲戒には就業規則の根拠と弁明の機会が必要で、減給には上限があります。
- 体調不良が疑われる場合は、処分の前に受診を勧め、休職を検討します。
- 能力不足を理由とする解雇は認められにくく、退職勧奨も進め方を誤れば違法になります。
- 客先との交代・精算・中途解約の対応は、労務の対応と切り分けて、基本契約書にもとづいて進めます。
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当協会の代表理事・中野秀俊は、弁護士・社会保険労務士として、グローウィル国際法律事務所とグローウィル社会保険労務士事務所の代表を務めています。処分や退職勧奨の判断、客先との交渉といった弁護士の領域と、就業規則の懲戒規定や注意指導の書式の整備といった社労士の領域を、ワンストップでサポートします。